2019.04.19

祈りの力99

最初のルーマニアチームには、ハンナは入ってませんでしたが、ハンナがいったチームは、二つ目か三っつ目のチームだったそうです。そして、たくさんの方々が、日本から来たチームのお話を聞き、また、主の栄光が現されたということでした。チームでは、二人の通訳がたつので、あるルーマニアで用いられた器の方は、ルーマニア人は、二人も通訳が立つと、話を聞かない、といったそうです。しかし、行ってみると教会に、立ち見が出るほど、たくさんの人々が集まり、熱心にみなさん聞いてくださったそうです。そして、何度も、集会のメッセージや、証の奉仕を、頼まれたということで、夜遅くても3時間4時間ぶっ続け、立ち続けで、聞いている感じだったそうです。リバイバルが起き、聖霊が働いていたのですね。人々が神に対して、熱心になっていたのです。神が、その奉仕を導いて下さり、成功させてくださったのです。

 

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2019.04.16

祈りの力98

ですから、1989年に、東ヨーロッパの壁が崩れていったことも驚くべき事柄でしたし、(当時は、そんなに感動していませんでしたが・・・)今思いますと私達の信仰の歩みを、主が、一つ一つ導いてくださる、その出来事の一つであったと思われます。その中で、1990年、1月、私は、数年の神学生としての奉仕者の歩みから、牧師に立てられていくことになりました。その後、ルーマニアにチームが送られていきました、そのチームに私の妻となる、ハンナが、そのチームに加わってリバイバルが起きているルーマニアにいったのでした。

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2019.04.15

祈りの力97

その結果、私たちも、とりなし祈らせて頂く恵みにあずかりました。その中で、秋元牧師の息子さんも、奇跡的な癒しを受けていかれたのです。もちろん、私たちの祈りがどれだけ聞かれたのかは、わかりません。おそらく最も祈られたのは、パウロ牧師ご夫妻であったでしょう。そして、信仰が、注がれていたのも、パウロ牧師たちに特別にそのように与えられていたと思います。しかし、不信仰な我々にも、息子さんが、奇跡的に癒されて、検査結果も医学的に証拠が残る奇跡を、見させていただく恵みにあずかったのです。このように、神は、一つ一つ、祈っていく中で、神の奇跡を私たちのような信仰のないものたちにも奇跡を見せていってくださっていったのです。(続く)

 

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2019.04.14

祈りの力96

 例えば、イリエさんが来てくださった時、鉄道学園で集会が持たれていました。その時、イリエさんの息子さん、ベンジャミン君が、トラクターに頭を引かれてしまったけど、奇跡的に癒されて頭がもとどおりに治ってしまったお話を聞きました、すぐ後に、秋元牧師の息子さんのベニヤミン君がお医者さんの検査結果で、生まれつきの脳障害であることがわかりました。パウロ牧師は、その時、ベニヤミン君にきっと素晴らしい栄光が現されると、恵みによって、信仰が与えられました。なぜなら、同じ名前で、彼の名前の意味は、神の右の手、力、幸運の意味であったからです。そして、イリエさんのお話のタイミングがあまりにも良かったからです。それで、パウロ牧師は、教会の私たちにも、ベニヤミン君のお医者さんの検査結果の状況を、教えてくださっていたのです。(続く)

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2019.04.13

祈りの力95

「あなたがたを、ヨーロッパに遣わす」「ヨーロッパ宣教は、東ヨーロッパから」と言われていた預言は、非常に不可能に見える事柄でしたが、教会開拓当初は、そう言った不可能に思える神の約束がたくさん与えられていました。そして、実際的な、賜物や能力、経済力、あるいは具体的な奉仕とか、宣教のルートや、宣教のバックは、ないない尽くしで、例えば英語ができる人が、ほとんどいないとか、パスポートを持っている人が一人しかいないとか、そういう状況にありながらも、たくさんの不可能に見える神の言葉をいただいて、毎日、よく祈っている教会、それが、TLEAの教会でした。でも、逆に何もないからこそ、神に熱心に祈らざるをえませんでしたし、一つ一つ求めていく中で、神は、答えを与え、信仰の歩みをさらに発展させていってくださいました。(続く)

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2019.04.12

祈りの力94

当時、教会はそれほど大きくなく、集会に集まっている人々も、たぶん100名ぐらいでしたが、その証を信じられない、受け入れられない人たちもいたと思います。しかし、私は、共産圏の迫害下で、神はクリスチャンを助けるために、このような奇跡を、起こしてくださっていたのだと信じることができました。その後、東ヨーロッパの壁が崩れて、東ヨーロッパの国々が、変わっていきました。ルーマニアも、チャウチャスク大統領、独裁的権力者が、倒されて、共産主義体制が崩壊していきました。このあと、1990年の1月に私は、牧師に立てられていく事となりまして、その後、ルーマニアチームが遣わされていくようになりました。(まだ続く)

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2019.04.11

祈りの力93

1988年にイリエさんが、教会の方々と、鉄道学園の音楽教室で撮った写真が残っているので、共産圏の壁が崩れる前に、すでにイリエさんは、日本に来てくださっていました。イリエさんの証やメッセージのご奉仕は、その証が、あまりにも当時の私たちには、奇跡的すぎるので、本当ですか、と言いたくなるような証のオンパレードでした。投獄されていた時に、天使が現れて、脱出させてくださったとか、息子さんがトラクターにひかれて、頭が歪んでしまい、死にそうだったのに、病院に向かう間、車の中で神に祈っていたら、頭がもとどおりにに治って、病院ではもう正常になっていて、トラクターの跡は残っているけど、お医者さんが、ひかれたと言っても信じてくれなかったとか・・・。奉仕のために集会に向かっていた時、どうしても1時間は遅れそうだったが、遅れると危険な、迫害下の集会に奇跡的に、なぜか時間に間に合って着いていた、神様が、ピリポのように瞬間移動をさせてくださったようだとか・・。光の柱に導かれて進んだら、共産圏を脱出できたとか、驚くべき奇跡の話の連続でした。

 

 

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2019.04.07

祈りの力92

東欧の壁が崩れていったのは、1989年で、ルーマニアへ短期宣教チームが送られていったのは、1991年か1992年ぐらいでした。この時、ポイントになったのは、イリエさんという、預言者の方でした。彼は、まだ、ルーマニアが共産圏であった時、迫害下のルーマニアで、信仰を守り、奇跡的な体験をしつつ奉仕者として活動していた後、ルーマニアを奇跡的に脱出。アメリカに、移住。そして、アメリカでも奉仕者として活躍中、日本をも訪れ、私たちの教会でもご奉仕をしてくださいました。アメリカに拠点を置きつつも、信仰の自由が与えられたルーマニアにも戻って、孤児院設立を行い、たくさんの孤児を助けたのです。この、イリエ兄弟が、ルーマニアに私たちを招いてくださり、東欧ルーマニアへの宣教が実現していったのです。

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2019.04.06

祈りの力91

 それで、東欧の国々に入って行って、宣教する事柄が、より可能にになっていったわけです。あれほど難しいことと思っていたことが、実現に近づいて行きました。ルーマニアも共産圏の国でしたが、この国も自由な国に変わって行きました。共産圏だった時には、教会は、迫害を受け、みんな10人20人という、小さい教会でしたが、国が変わるとリバイバルが起きて、どの教会も大きくなって何百人、何千人という教会になっていったそうです。このリバイバルが起きたルーマニアの国に、日本の宣教チームが送られて行きました。そして、ルーマニアの方々に大歓迎を受け、チームを通して、ルーマニアの教会に勝利が現されていったのです。東ヨーロッパへの宣教は実現していったのです。

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2019.04.05

祈りの力90

 東ヨーロッパの壁が実際に、次々に、崩れていったことは、非常に、不思議な事柄でした。特に、実際にベルリンの壁が、東ドイツと西ドイツとの間にあって、ドイツが統合される前に、チームがそのベルリンの壁のところに行って、壁よ崩れよ、なんて、御名によって命令や宣言したりして祈って後、(1ヶ月後とか、2ヶ月後とかそんな感じで、正確なところはあまり分かりません。)本当に壁が崩れていったのは、驚きでした。東ヨーロッパの国々の方々に、神が信仰の自由を与える計画があったからこそ、そうなったと思いますが、それにしても驚くべき事柄でした。

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