2019.05.12

テレビ出演3

 最初の週は、そのままの状態でカメラ取りですが、一週終わったら、病院の先生に電話で、お話しして、診てもらうということになりました。予約しても、数ヶ月待たされるという人気の先生で、その名医に、レントゲンの写真とか、別の病院で撮ったのを前もって送って、電話のその日に診てもらうという、ことになりました。その後が、どのように変わるか、というのが重要な点になってきました。

 

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2019.04.29

祈りの力102

ルーマニアに行った結果、リバイバルが起こっているそのルーマニアを見ることができたのです。イリエさんたちと親しくしていただいて、孤児院にボランティア・スタッフとして、数ヶ月ルーマニアに滞在する道が開かれたのです。そして、よく考えてみると、中学時代、教会に行き始めて、体操部だった彼女は、その当時、金メダリスト、活躍していたコマネチに、憧れて、ルーマニアに行きコマネチに会いたいと思っていたことがあったのです。コマネチには会えませんでしたが、ルーマニアに行きたいという、願いを、神は叶えてくださったのです。ちょうど私は、その時、アメリカに数ヶ月牧師として、ロサンゼルスに遣わされていました。そして、日本に帰ってきた時、ハンナもルーマニアから4ヶ月の奉仕を終えて2・3日違いで、東京の教会に戻ってきました。その一年後、私たちは結婚に導かれました。

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祈りの力101

私の妻、ハンナは、冬のルーマニアに遣わされて4ヶ月滞在しました。彼女は、東ヨーロッパなんて、全く重荷は、ありませんでしたが、私と同じアジアの国に重荷がありました。短期宣教チームに加わって、カンボジアに行こうと予定していたのですが、たまたま、その時カンボジアは、危険になり、チームが、行かなくなったのです。主のストップでした。その代わりに、ルーマニアチームに加わることが導かれました。まるで、パウロが、アジアに行こうとしていたのを止められて、ピリピ(ヨーロッパ)に行ったみたいですね。しかし、それが、特別な御心でした。

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2019.04.25

祈りの力100

 その後、日本チームは、宣教においていろんな勝利を見て日本に帰ってきます。その後、今度は、ハンナが、ルーマニアの孤児院に、4ヶ月ほどお手伝いに行くということになりました。1992年から93年にかけてのお話です。予定では、半年でしたが、中期宣教師という感じですね。もう一人の日本人の方と、二人でのご奉仕でしたが、ほんとよく行ったなと、今、私も思います。孤児が、たくさんいたんですね、共産主義から解放された後のルーマニアは。ですから、全く不可能に見えた、東ヨーロッパの宣教は、短期宣教、中期宣教という形で、実現していったのです。

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2019.04.19

祈りの力99

最初のルーマニアチームには、ハンナは入ってませんでしたが、ハンナがいったチームは、二つ目か三っつ目のチームだったそうです。そして、たくさんの方々が、日本から来たチームのお話を聞き、また、主の栄光が現されたということでした。チームでは、二人の通訳がたつので、あるルーマニアで用いられた器の方は、ルーマニア人は、二人も通訳が立つと、話を聞かない、といったそうです。しかし、行ってみると教会に、立ち見が出るほど、たくさんの人々が集まり、熱心にみなさん聞いてくださったそうです。そして、何度も、集会のメッセージや、証の奉仕を、頼まれたということで、夜遅くても3時間4時間ぶっ続け、立ち続けで、聞いている感じだったそうです。リバイバルが起き、聖霊が働いていたのですね。人々が神に対して、熱心になっていたのです。神が、その奉仕を導いて下さり、成功させてくださったのです。

 

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2019.04.16

祈りの力98

ですから、1989年に、東ヨーロッパの壁が崩れていったことも驚くべき事柄でしたし、(当時は、そんなに感動していませんでしたが・・・)今思いますと私達の信仰の歩みを、主が、一つ一つ導いてくださる、その出来事の一つであったと思われます。その中で、1990年、1月、私は、数年の神学生としての奉仕者の歩みから、牧師に立てられていくことになりました。その後、ルーマニアにチームが送られていきました、そのチームに私の妻となる、ハンナが、そのチームに加わってリバイバルが起きているルーマニアにいったのでした。

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2019.04.15

祈りの力97

その結果、私たちも、とりなし祈らせて頂く恵みにあずかりました。その中で、秋元牧師の息子さんも、奇跡的な癒しを受けていかれたのです。もちろん、私たちの祈りがどれだけ聞かれたのかは、わかりません。おそらく最も祈られたのは、パウロ牧師ご夫妻であったでしょう。そして、信仰が、注がれていたのも、パウロ牧師たちに特別にそのように与えられていたと思います。しかし、不信仰な我々にも、息子さんが、奇跡的に癒されて、検査結果も医学的に証拠が残る奇跡を、見させていただく恵みにあずかったのです。このように、神は、一つ一つ、祈っていく中で、神の奇跡を私たちのような信仰のないものたちにも奇跡を見せていってくださっていったのです。(続く)

 

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2019.04.14

祈りの力96

 例えば、イリエさんが来てくださった時、鉄道学園で集会が持たれていました。その時、イリエさんの息子さん、ベンジャミン君が、トラクターに頭を引かれてしまったけど、奇跡的に癒されて頭がもとどおりに治ってしまったお話を聞きました、すぐ後に、秋元牧師の息子さんのベニヤミン君がお医者さんの検査結果で、生まれつきの脳障害であることがわかりました。パウロ牧師は、その時、ベニヤミン君にきっと素晴らしい栄光が現されると、恵みによって、信仰が与えられました。なぜなら、同じ名前で、彼の名前の意味は、神の右の手、力、幸運の意味であったからです。そして、イリエさんのお話のタイミングがあまりにも良かったからです。それで、パウロ牧師は、教会の私たちにも、ベニヤミン君のお医者さんの検査結果の状況を、教えてくださっていたのです。(続く)

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2019.04.13

祈りの力95

「あなたがたを、ヨーロッパに遣わす」「ヨーロッパ宣教は、東ヨーロッパから」と言われていた預言は、非常に不可能に見える事柄でしたが、教会開拓当初は、そう言った不可能に思える神の約束がたくさん与えられていました。そして、実際的な、賜物や能力、経済力、あるいは具体的な奉仕とか、宣教のルートや、宣教のバックは、ないない尽くしで、例えば英語ができる人が、ほとんどいないとか、パスポートを持っている人が一人しかいないとか、そういう状況にありながらも、たくさんの不可能に見える神の言葉をいただいて、毎日、よく祈っている教会、それが、TLEAの教会でした。でも、逆に何もないからこそ、神に熱心に祈らざるをえませんでしたし、一つ一つ求めていく中で、神は、答えを与え、信仰の歩みをさらに発展させていってくださいました。(続く)

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2019.04.12

祈りの力94

当時、教会はそれほど大きくなく、集会に集まっている人々も、たぶん100名ぐらいでしたが、その証を信じられない、受け入れられない人たちもいたと思います。しかし、私は、共産圏の迫害下で、神はクリスチャンを助けるために、このような奇跡を、起こしてくださっていたのだと信じることができました。その後、東ヨーロッパの壁が崩れて、東ヨーロッパの国々が、変わっていきました。ルーマニアも、チャウチャスク大統領、独裁的権力者が、倒されて、共産主義体制が崩壊していきました。このあと、1990年の1月に私は、牧師に立てられていく事となりまして、その後、ルーマニアチームが遣わされていくようになりました。(まだ続く)

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