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2019.04.30

テレビ出演1

 急に、テレビの話になります。ヨーロッパ宣教の話は、まだまだ続くのですが、なんと、テレビに出ることになったので、急遽、そちらの証に切り替えです。ヨーロッパのお話はまた後でですね。

 ある日、電話が、かかってきました。なんの前ぶれなく、「ゴスペルクラブの方ですか」ということでしたが、「はい、そうです」と答えると、「テレビ朝日のたけしの家庭の医学という番組で。」ということで、「ゴスペルクラブの方々が20代から80代の方が、参加しているとインンターネットの記事で見ましたが、・・・」「便秘症の方を番組の方で探しているんですが、50代から70代の方で、ご紹介願いたい」というような電話でした。「ああ、私の妻も、そうなので。では、他にも、聞いてみます。」ということで、知り合いの方から他にも2名ほどお話して、番組の方に紹介しました。(続く)

 

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2019.04.29

祈りの力102

ルーマニアに行った結果、リバイバルが起こっているそのルーマニアを見ることができたのです。イリエさんたちと親しくしていただいて、孤児院にボランティア・スタッフとして、数ヶ月ルーマニアに滞在する道が開かれたのです。そして、よく考えてみると、中学時代、教会に行き始めて、体操部だった彼女は、その当時、金メダリスト、活躍していたコマネチに、憧れて、ルーマニアに行きコマネチに会いたいと思っていたことがあったのです。コマネチには会えませんでしたが、ルーマニアに行きたいという、願いを、神は叶えてくださったのです。ちょうど私は、その時、アメリカに数ヶ月牧師として、ロサンゼルスに遣わされていました。そして、日本に帰ってきた時、ハンナもルーマニアから4ヶ月の奉仕を終えて2・3日違いで、東京の教会に戻ってきました。その一年後、私たちは結婚に導かれました。

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祈りの力101

私の妻、ハンナは、冬のルーマニアに遣わされて4ヶ月滞在しました。彼女は、東ヨーロッパなんて、全く重荷は、ありませんでしたが、私と同じアジアの国に重荷がありました。短期宣教チームに加わって、カンボジアに行こうと予定していたのですが、たまたま、その時カンボジアは、危険になり、チームが、行かなくなったのです。主のストップでした。その代わりに、ルーマニアチームに加わることが導かれました。まるで、パウロが、アジアに行こうとしていたのを止められて、ピリピ(ヨーロッパ)に行ったみたいですね。しかし、それが、特別な御心でした。

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2019.04.25

祈りの力100

 その後、日本チームは、宣教においていろんな勝利を見て日本に帰ってきます。その後、今度は、ハンナが、ルーマニアの孤児院に、4ヶ月ほどお手伝いに行くということになりました。1992年から93年にかけてのお話です。予定では、半年でしたが、中期宣教師という感じですね。もう一人の日本人の方と、二人でのご奉仕でしたが、ほんとよく行ったなと、今、私も思います。孤児が、たくさんいたんですね、共産主義から解放された後のルーマニアは。ですから、全く不可能に見えた、東ヨーロッパの宣教は、短期宣教、中期宣教という形で、実現していったのです。

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2019.04.19

祈りの力99

最初のルーマニアチームには、ハンナは入ってませんでしたが、ハンナがいったチームは、二つ目か三っつ目のチームだったそうです。そして、たくさんの方々が、日本から来たチームのお話を聞き、また、主の栄光が現されたということでした。チームでは、二人の通訳がたつので、あるルーマニアで用いられた器の方は、ルーマニア人は、二人も通訳が立つと、話を聞かない、といったそうです。しかし、行ってみると教会に、立ち見が出るほど、たくさんの人々が集まり、熱心にみなさん聞いてくださったそうです。そして、何度も、集会のメッセージや、証の奉仕を、頼まれたということで、夜遅くても3時間4時間ぶっ続け、立ち続けで、聞いている感じだったそうです。リバイバルが起き、聖霊が働いていたのですね。人々が神に対して、熱心になっていたのです。神が、その奉仕を導いて下さり、成功させてくださったのです。

 

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2019.04.16

祈りの力98

ですから、1989年に、東ヨーロッパの壁が崩れていったことも驚くべき事柄でしたし、(当時は、そんなに感動していませんでしたが・・・)今思いますと私達の信仰の歩みを、主が、一つ一つ導いてくださる、その出来事の一つであったと思われます。その中で、1990年、1月、私は、数年の神学生としての奉仕者の歩みから、牧師に立てられていくことになりました。その後、ルーマニアにチームが送られていきました、そのチームに私の妻となる、ハンナが、そのチームに加わってリバイバルが起きているルーマニアにいったのでした。

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2019.04.15

祈りの力97

その結果、私たちも、とりなし祈らせて頂く恵みにあずかりました。その中で、秋元牧師の息子さんも、奇跡的な癒しを受けていかれたのです。もちろん、私たちの祈りがどれだけ聞かれたのかは、わかりません。おそらく最も祈られたのは、パウロ牧師ご夫妻であったでしょう。そして、信仰が、注がれていたのも、パウロ牧師たちに特別にそのように与えられていたと思います。しかし、不信仰な我々にも、息子さんが、奇跡的に癒されて、検査結果も医学的に証拠が残る奇跡を、見させていただく恵みにあずかったのです。このように、神は、一つ一つ、祈っていく中で、神の奇跡を私たちのような信仰のないものたちにも奇跡を見せていってくださっていったのです。(続く)

 

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2019.04.14

祈りの力96

 例えば、イリエさんが来てくださった時、鉄道学園で集会が持たれていました。その時、イリエさんの息子さん、ベンジャミン君が、トラクターに頭を引かれてしまったけど、奇跡的に癒されて頭がもとどおりに治ってしまったお話を聞きました、すぐ後に、秋元牧師の息子さんのベニヤミン君がお医者さんの検査結果で、生まれつきの脳障害であることがわかりました。パウロ牧師は、その時、ベニヤミン君にきっと素晴らしい栄光が現されると、恵みによって、信仰が与えられました。なぜなら、同じ名前で、彼の名前の意味は、神の右の手、力、幸運の意味であったからです。そして、イリエさんのお話のタイミングがあまりにも良かったからです。それで、パウロ牧師は、教会の私たちにも、ベニヤミン君のお医者さんの検査結果の状況を、教えてくださっていたのです。(続く)

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2019.04.13

祈りの力95

「あなたがたを、ヨーロッパに遣わす」「ヨーロッパ宣教は、東ヨーロッパから」と言われていた預言は、非常に不可能に見える事柄でしたが、教会開拓当初は、そう言った不可能に思える神の約束がたくさん与えられていました。そして、実際的な、賜物や能力、経済力、あるいは具体的な奉仕とか、宣教のルートや、宣教のバックは、ないない尽くしで、例えば英語ができる人が、ほとんどいないとか、パスポートを持っている人が一人しかいないとか、そういう状況にありながらも、たくさんの不可能に見える神の言葉をいただいて、毎日、よく祈っている教会、それが、TLEAの教会でした。でも、逆に何もないからこそ、神に熱心に祈らざるをえませんでしたし、一つ一つ求めていく中で、神は、答えを与え、信仰の歩みをさらに発展させていってくださいました。(続く)

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2019.04.12

祈りの力94

当時、教会はそれほど大きくなく、集会に集まっている人々も、たぶん100名ぐらいでしたが、その証を信じられない、受け入れられない人たちもいたと思います。しかし、私は、共産圏の迫害下で、神はクリスチャンを助けるために、このような奇跡を、起こしてくださっていたのだと信じることができました。その後、東ヨーロッパの壁が崩れて、東ヨーロッパの国々が、変わっていきました。ルーマニアも、チャウチャスク大統領、独裁的権力者が、倒されて、共産主義体制が崩壊していきました。このあと、1990年の1月に私は、牧師に立てられていく事となりまして、その後、ルーマニアチームが遣わされていくようになりました。(まだ続く)

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2019.04.11

祈りの力93

1988年にイリエさんが、教会の方々と、鉄道学園の音楽教室で撮った写真が残っているので、共産圏の壁が崩れる前に、すでにイリエさんは、日本に来てくださっていました。イリエさんの証やメッセージのご奉仕は、その証が、あまりにも当時の私たちには、奇跡的すぎるので、本当ですか、と言いたくなるような証のオンパレードでした。投獄されていた時に、天使が現れて、脱出させてくださったとか、息子さんがトラクターにひかれて、頭が歪んでしまい、死にそうだったのに、病院に向かう間、車の中で神に祈っていたら、頭がもとどおりにに治って、病院ではもう正常になっていて、トラクターの跡は残っているけど、お医者さんが、ひかれたと言っても信じてくれなかったとか・・・。奉仕のために集会に向かっていた時、どうしても1時間は遅れそうだったが、遅れると危険な、迫害下の集会に奇跡的に、なぜか時間に間に合って着いていた、神様が、ピリポのように瞬間移動をさせてくださったようだとか・・。光の柱に導かれて進んだら、共産圏を脱出できたとか、驚くべき奇跡の話の連続でした。

 

 

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2019.04.07

祈りの力92

東欧の壁が崩れていったのは、1989年で、ルーマニアへ短期宣教チームが送られていったのは、1991年か1992年ぐらいでした。この時、ポイントになったのは、イリエさんという、預言者の方でした。彼は、まだ、ルーマニアが共産圏であった時、迫害下のルーマニアで、信仰を守り、奇跡的な体験をしつつ奉仕者として活動していた後、ルーマニアを奇跡的に脱出。アメリカに、移住。そして、アメリカでも奉仕者として活躍中、日本をも訪れ、私たちの教会でもご奉仕をしてくださいました。アメリカに拠点を置きつつも、信仰の自由が与えられたルーマニアにも戻って、孤児院設立を行い、たくさんの孤児を助けたのです。この、イリエ兄弟が、ルーマニアに私たちを招いてくださり、東欧ルーマニアへの宣教が実現していったのです。

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2019.04.06

祈りの力91

 それで、東欧の国々に入って行って、宣教する事柄が、より可能にになっていったわけです。あれほど難しいことと思っていたことが、実現に近づいて行きました。ルーマニアも共産圏の国でしたが、この国も自由な国に変わって行きました。共産圏だった時には、教会は、迫害を受け、みんな10人20人という、小さい教会でしたが、国が変わるとリバイバルが起きて、どの教会も大きくなって何百人、何千人という教会になっていったそうです。このリバイバルが起きたルーマニアの国に、日本の宣教チームが送られて行きました。そして、ルーマニアの方々に大歓迎を受け、チームを通して、ルーマニアの教会に勝利が現されていったのです。東ヨーロッパへの宣教は実現していったのです。

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2019.04.05

祈りの力90

 東ヨーロッパの壁が実際に、次々に、崩れていったことは、非常に、不思議な事柄でした。特に、実際にベルリンの壁が、東ドイツと西ドイツとの間にあって、ドイツが統合される前に、チームがそのベルリンの壁のところに行って、壁よ崩れよ、なんて、御名によって命令や宣言したりして祈って後、(1ヶ月後とか、2ヶ月後とかそんな感じで、正確なところはあまり分かりません。)本当に壁が崩れていったのは、驚きでした。東ヨーロッパの国々の方々に、神が信仰の自由を与える計画があったからこそ、そうなったと思いますが、それにしても驚くべき事柄でした。

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2019.04.04

祈りの力89

ですから、東ヨーロッパとか、ポーランドとか、言うけど、こんな小さな何にもない教会から、そんな難しい宣教できっこないよっていうのが、人間的な普通の見解。一歩進んで、もしかしたら、ちょっと預言の賜物の働きも進んでるし、本当に主がやると言ってるんだったら、起こるかもしれない、でも、無理、無理かな。そんな、気持ちで教会を見てましたが、案の定、東ヨーロッパの宣教なんて、何も起きないで何年も過ぎていってました。ところがところが、ベルリンの壁が破れるというという奇跡が起き始めていったのです。次々に東ヨーロッパの国々が、自由主義諸国に変わっていったのです。本当に奇跡的な事柄でした。そして、普通に、自由に、その国々に入っていけるようになったわけです。教会、クリスチャンへの国家的な迫害というのも無くなっていったのです。

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2019.04.03

祈りの力88

「ポーランド。へー」と。「ポーランドに重荷があるって、一体、どんな人!!」よっぽど、信仰のある人か、どんだけ、能力のある人か、そう思いましたが、徐々に接していくとどちらでもなさそうな、感じの方でした。当時の、ポーランドは、1985年、86年ごろ、まだ共産圏で、東ヨーロッパ、鉄のカーテンが引かれていて、中に、入って宣教するなんて、大変な十字架を負うことで、とても難しいことでした。この教会の、普通の人が行くなんて、ある意味、不可能。実際入っていった他教会の宣教師たちは、命がけという感じでしたし、ある宣教師は、拷問を受けたことがあるとかそういう宣教報告を、聞いていました。しかし、教会には、いろんな預言が与えられていて、預言は必ず吟味が必要ですが、「あなたがたを、ヨーロッパに遣わす。」そして、「ヨーロッパ宣教は、東ヨーロッパから」と言われていたのです。私が、この教会に、通い始めた頃はまだ、40人か50人ぐらいの教会で、全国に一つだけしか教会は、ありませんでした。

 

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2019.04.02

祈りの力87

 このヨーロッパ宣教について、私の知っているところでお話ししたいと思います。

 私は、特にアジアの国に、重荷があって、別の団体で活動していた頃、「『9万人の教会になる』という預言が与えられている教会がある。」という話を聞きました。当時、学生で、まだ、福音派の教会に通っていましたが、カリスマの教会に興味を持っていた私は、その教会に一度行ってみたいと思うようになりました。そして、機会が与えられて、行きましたら、夜の祈祷会に、20人ぐらいの方々が集まって祈っていました。そして、預言の賜物を用いて、お祈りの時を持っていたのでした。預言をとうして、いろんなことが語られていました。それが最初で、「賜物の働きにおいて、進んでいる教会だな。」というのが、私の印象でした。これが、当時のTLEA東京アンテオケ教会(旧名 国分寺クリスチャンセンター)でした。何回かその教会の集会に出席している間に、教会の方々のお話を聞いていくと、ポーランドに宣教の重荷のある方がいる、というお話を聞くようになりました。

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2019.04.01

祈りの力86

(続き)さて、ここでやっと最初の話に戻ります。祈りの力75、76、77、あたりからの続きです。

ドレスデンの牧師ご家族がやってきて、ヨーロッパに、招いてくださった、今年の3月17日の日曜日の出来事に、パウロ秋元牧師が、み心を感じたということでしたが、私たちも、とても、御心を感じていたのです。どうしてかというと、その日も、神様にプレゼントが与えられるように祈って、第7礼拝に参加したのです。その日は私たちにとって結婚記念日と日曜日が、重なった日でしたが、なんと我々にとって、銀婚式の年の結婚記念日だったのです。1994年に結婚して、今年はちょうど25年間、2019年ではありませんか。特別なプレゼントを期待して、礼拝に出た時、パウロ牧師が、今日、ドレスデンの牧師ご家族が来て、招かれたというお証を、聞いたのです。第7礼拝の時、すぐ、ハンナも、「(神のプレゼント、祈りの答えは)これだね」と、お互いに気づきました。ですから、私たち夫婦は、きっと、パウロ秋元牧師とともに、ヨーロッパのドレスデンや幾つかの都市に、チームに加わって、いくことになるでしょう。きっと素晴らしいことがなされるチームとなると信じています。

 私たち日本人は、歴史的にヨーロッパから、福音宣教の恵みを受けました。そして、ヨーロッパの宣教師によって、再び発見され、ヨーロッパの教会に助けられて信仰の自由が与えられました。今、日本でリバイバルが起きている、この恵みを、今度は、日本からヨーロッパに、リバイバルの火、流れを、主は持ち運ばせようとしておられると信じます。パウロ牧師を始め、この教会の特別なヨーロッパ宣教、異邦人伝道の召しが、開かれ、その働きが進められようとしています。教会が始まった当初から語られていた召しです。「あなたがたを、ヨーロッパに遣わす」お祈りください。

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